心身統一合氣道は、自分の身を守り、相手を制する(投げる・取り押さえる)ための武道です。ただし相手に打撃を与えたり、屈服させることを目的とはしません。むしろ相手の氣を尊重し、調和を図りながら、共に動くことを学びます。勝負を目的とする武道ではありませんので、どなたでも安心して稽古を始めることができます。

また、合気道の技を通して、私たちが本来持っている力を最大限に引き出す心身の使い方を学び、いつもリラックスして自然体で生活する方法を身につけます。

Q&A

合気道は空手や柔道とどう違いますか

いちばん大きな違いは試合がないところです。想定した状況での技(術)を繰り返し稽古します。

つかむ/打つといった素手の攻撃に対する組み技、短刀(ナイフ)や杖(棒)を使った攻撃に対する武器技、多人数を相手にする技など上達につれて様々な技があり、どのような状況でも動じないで力を発揮すること(不動心)を稽古します。

日々稽古を重ねて自分自身の向上をはかるという点では、どの武道も同じです。

運動をあまりしたことがないのですが

武道やスポーツが未経験でも大丈夫です。合気道はまず姿勢を整えて、リラックスした自然な呼吸とリズムで動きます。礼儀作法や怪我をしない受け身など、初歩から分かりやすく指導を受けられます。稽古はのびのびと楽しい雰囲気です。

継続して稽古すると、知らずしらず体幹が鍛えられて基礎体力もつき、生活に直結した動きのセンスが磨かれます。

氣ってなんですか

「元気」「強気」「気配」「気になる」「気が向く」「気をつける」「気を使う」「気にしない」「気がきく」「気が散る」「気を抜く」…

たくさんの言葉になじみがあるとおり、「気」は昔から日本人にとって身近なものです。稽古では心を静めて広く気が交流する「気が出ている」状態を作り、リラックスして力を発揮できる心身をつくります。

ちなみに常用漢字では「気」と書きますが、エネルギーが四方八方に交流する本来の意味をあらわす旧字体の「氣」があえてよく使われます。

心身統一合氣道という名は宗教っぽいですが

心身統一とは「大自然と一体」である感覚のことで、宗教とは違います。創始者の藤平光一先生が師事した中村天風先生(ヨガを日本に初めて広めた人物)の心身統一法が由来です。

この哲学は、松下幸之助さん(パナソニック創業者)や稲盛和夫さん(京セラ創業者)らを始め、日本の偉人や著名人に大きな影響を与えました。近年では大谷翔平選手の愛読書として話題になりました。心身統一(力を最大限に発揮できる体と心の状態)で合気道をするのが、心身統一合氣道です。

女性にもできますか

「力で相手をねじ伏せる」のではなく「相手を尊重して導く」動きをします。関節を痛めるような危険な技も通常行いませんので、女性にも人気があります。

稽古では余分な力を抜いて、自然体で動くトレーニングをします。日常生活での立ち居ふるまいも自然に美しくなります。

心身統一合氣道はプロのアスリートも習われていると聞きましたが

心身統一合氣道は武道としてはもとより、筋力に頼らず体を合理的に動かす技や、ものごとに動じないといった精神面の修養も稽古に含みます。そのため道場では、現役のアスリートをはじめ、舞台芸術に携わるパフォーマーや企業の経営者など、さまざまな分野の方々が学ばれています。

近年では、九重部屋の若手力士、LAドジャースの選手やコーチ、K-1世界王者の大和哲也さんらが学ばれていることがよく知られています。また、ホームラン王として知られる王貞治さんの「一本足打法」が、心身統一合氣道の創始者・藤平光一先生の指導によって生まれたことは知る人ぞ知る逸話です。

シニア

50代ですが合気道は始められますか

30〜50代で合気道に入門される方はとても多いです。年齢や性別を問わず色々な分野の方が稽古されており、始める目的も様々です。片腕が不自由な方や全盲の方も学ばれています。

書道に「楷書/行書/草書」があるように、合気道の技にも段階があります。体力や習熟度に合わせて、まずはゆっくりのスピードから安全に稽古しますので、安心してご参加ください。

こどもクラス

子どもに習わせると何が身につきますか

健康な身体の土台を作る/身を守る力がつく/楽に大きな力を発揮できる/疲れにくくなる/不動心(動じない心)を養う/感情のコントロール/ストレスを受けにくくなる/集中力がつく/ここぞという場面に強くなる/姿勢が美しくなる/立ち居振る舞いが美しくなる/礼儀作法が身につく/気がきくようになる/隠れた可能性を引き出す

このようなことが期待できます。

けんかに強くなれますか

人を傷つけるための稽古はしませんが、身を守る力がつき、危険を察知する力も高まります。心身統一合氣道を習って助かったという話はよくあります。

大切なことは、争って相手をやっつけることが本当の強さではないということです。